
集合場所は足柄SA。今回は自家用車2台とバイク1台でのツアー。
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最初の見学地は「印野胎内」。胎内なんて、奇妙な地名です。
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入園料を払い、庭園のような公園を進みます。公園の奥にある社の隣に印野胎内洞窟の入口がありました。
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洞窟の中には照明設備はありません。持参したヘッドランプと売店で売っていたろうそくの灯だけがたよりです。
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“胎内”と呼ばれる所以は、洞窟内のカベに見られる奇妙なヒダヒダの造形のせいでしょうか。なにやら生き物っぽくも見え、“胎内”と呼ばれているのかもしれません。溶岩洞窟学によるとこのような光沢面は一度固まった溶岩の再溶融によって出来ると考えられているようです。再溶融させる熱は、洞窟内でのガスなどの燃焼、あるいは固まっていない温度の高い溶岩流からの輻射熱などによってもたらされると考えられているようです。
参考ページ:熔岩洞のページ・熔岩洞関連用語の光沢面(GLAZE)や再溶融(REMELT)を参照
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この辺りはまだ立っていられるくらいの高さがありますが、、、、
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このあたりは、腹ばいするくらいでないと通れない狭さです。
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公園内には、様々な溶岩流の造形があります。こちらは溶岩樹形。
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次の見学地である太郎坊に移動しました。標高が約1450mのこの場所は、濃い霧に覆われていました。
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この場所では富士山の噴火によって堆積した降下火砕物がよく観察できます。最上部に堆積しているのは最も新しい噴火の降下火砕物である宝永噴火の降下スコリア層です。最下部に白い軽石層があり、その上を黒いスコリア層が厚く堆積しているのが特徴の一つです。このことは、宝永噴火が白い軽石を少量噴出した後に、大量に黒いスコリアを噴出したことを表しています。
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露頭斜面を登って、宝永スコリア層を観察しています。
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宝永スコリア層の上は現在の地表面です。まもなく宝永噴火300周年を迎えようとしている現在、数mを越える高さの樹木が育っています。
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火砕物の上では、まだ花をつけていないアザミの仲間が生きていました。
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ここでは古富士火山の活動による降下火砕物の層に挟まるようにして、“死都日本”級の巨大噴火によって鹿児島の錦江湾を造った姶良カルデラ噴火の火山灰がも見つかります。
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約3万年前の姶良カルデラの噴火に由来するこの火山灰(姶良丹沢テフラ)は日本全国を覆っているため、約3万年前を示す良い鍵層になっています。
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昼食後にまず向かったのは丹沢前衛の山中にある中島林道。ここには御嶽山に由来する火山灰があります。
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この御嶽山に由来する火山灰は御嶽第1テフラと呼ばれ、約10万年前を示す鍵層になっています。富士山の活動による火山灰は、御嶽第1テフラよりも上にしかないので、富士山の活動は約10万年前から始まったと考えられます。
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続いては丹沢前衛の山々を越えて山中湖へ向かいました。途中の展望台からは、富士山が良く眺められるはずでしたが残念ながらこの日は霧の中。
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山中湖を過ぎて、一行は富士吉田に向かっています。途中には一面の赤松の森が現れます。鷹丸尾溶岩流の上に育ったアカマツ林です。
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休むより先に皆さんの足を止めたのは、鷹丸尾溶岩流の断面が良く露出した露頭でした。
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溶岩の断面で見える発泡組織が様々に変形を受けていて、その変形組織からどのように溶岩流に力が掛かったのかを想像しました。
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道の駅には富士山の火山の恵みである湧水が引き込まれていました。
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最後に訪ねたのは鳴沢にある青木が原溶岩流の露頭。西暦864年に起こった貞観噴火による溶岩流です。
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ここでは流れてきた溶岩流に埋もれてしまった樹木が、その後焼失し、固まった溶岩の中に空洞が残ってしまった“溶岩樹型”がよく観察できます。
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溶岩流の最下部にあるクリンカー部分に空いた穴を覗いてみると、風が吹いてきました。もしかしたら、ここも溶岩洞窟の入口か?と想像が膨らみました。
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溶岩流の断面にルーペをあてカンラン石斑晶を探しています。
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帰る途中で立ち寄った西湖畔。西湖の湖水に青木ヶ原溶岩流が突っ込んでいます。青木ヶ原溶岩流は、それまであった大きな湖に流入し、精進湖・本栖湖・西湖を造りました。
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鳴沢の青木ヶ原溶岩流の前で記念撮影。ではまた次回お会いしましょう。
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