
京急・三崎口駅からバスに数十分揺られ、城ヶ島に到着。まずは自己紹介から。自己紹介終了後に、初めの見学目的地である“コンボリュート構造”が見られる露頭目指して、城ヶ島の北の海岸に沿う道を移動します。
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移動する途中でスコリア層や砂質・泥質な層が垂直に立って見える露頭を発見。
城ヶ島の北側で見られる地層は激しい変動を受け、大きく水平から外れている地層が多いです。「平野と海岸を読む(貝塚爽平著)」によると、地層が上向きに凸に曲げられる“褶曲”が城ヶ島と三浦半島の海峡の位置で起こっているそうです。この露頭は、海峡付近の地層が受けた激しい変動を語っていると想像されます。さらには、この激しい褶曲運動によって弱くなってしまった地層が選択的に浸食され、城ヶ島が“島”として三浦半島から分離した、という具合に地形と地層の関係が説明されるようです。
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こちらも、もみくちゃになって混沌としている地層。一度堆積したものが、その後、崩壊して流れ、円礫のようになってしまっている様子が観察されました。
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さて、こちらが目的の“コンボリュート構造”が観察できる地層。この露頭が語る歴史は、なかなか複雑です。
1.砂泥層の堆積
2.固まる前に地層が波打つように変形
3.変形を受けた状態で地層が固まる
4.固まった地層が一度、浸食され平らになる
5.その上に新しい堆積物が堆積
6.褶曲などの地殻変動によって地層の上下逆転
こんな歴史が読み取れるようです。このコンボリュート構造の物語を詳しく解説したページを大石さんが設けて下さいました。
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続いてはしばらく坂道を登り、城ヶ島の台地の上にある城ヶ島公園に向かいました。城ヶ島公園の展望台からは、沖に薄っすらと伊豆大島が眺められました。
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展望台から見える海食崖では城ヶ島の内部構造が観察できました。城ヶ島の台地は、比較的固い岩盤からなり年代が古い“三崎層”の上に“海でたまった砂など”が乗り、その上にさらに年代が新しい火山灰やロームからなる“関東ローム層”が乗るという構造になっています。
地殻変動や気候変動により波に削られて出来た平坦面が陸となり、その後に火山灰やロームが堆積したというストーリがこの風景から読み取れます。陸になっていく際に一時的に海岸になっていたことも、ローム層と三崎層の間に挟まる“砂”が語ってくれています。
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波蝕面が陸化して出来る段々状の地形を“海成段丘”といいます。城ヶ島の台地も“三崎面”と呼ばれる海成段丘面で、7万年前より少し前にできたと考えられます。なぜ、そんなことが分かるかというと鍵はその上に乗るローム層にあります。
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ローム層は、風に乗ってやってくる塵や噴火のときに降ってくる火山灰などが長い年月掛けて堆積して出来る地層です。火山灰の場合、極短い時間に堆積するので、地層の中の時間目盛り“鍵層”として重要です。城ヶ島の台地の場合には、最も古い火山灰層として箱根安針(あんじん)テフラという7万年前の箱根火山を起源とするの軽石層が見つかるそうです。このことから三崎面は7万年前より少し前にできた段丘面ということが分かるというわけです。→大石火山研究室の解説。
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三浦半島そのものの地形もいくつかの海成段丘からできています。海から1段上がった平坦面が城ヶ島と同じ三崎面で海抜30m位。もう一つ上の段が田鳥原面で海抜60m位。最も海抜が高い面が海抜80m位の引橋面で、この風景の中だと、左寄りに小高い丘として見える岩堂山の山頂部がその高さになるそうです。
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城ヶ島の南の海岸に降りるため遊歩道を歩いていると、絶壁にあるウミウのコロニーが眺められます。ウミウたちの糞で岸壁が白くなっています。白い岸壁の上に見える植生は海成段丘面の上のローム層を土壌として生きているようです。
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城ヶ島南岸の磯にたどり着きました。ここが本OFF会の目玉の一つである“火山豆石”がひそんでいる場所です。
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ここは城ヶ島を代表する自然の造形“馬の背洞門”がある場所です。馬の背洞門は、長い年月を掛けて波が浸食によって造った“海食洞”です。かつて満潮時には、この洞門は波に洗われていて、洞門の中を船で通れた時代もあったそうです。しかしその後起こった関東大地震による地殻変動で陸に上がってしまったといいます。
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というのも火山の会MLでお馴染みのしげちゃんによって火山豆石の露頭の場所がすでに発見されており、その画像だけが手がかりなのです。資料に印刷した画像と実際の風景を絵合わせしながら火山豆石露頭を探しています。
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このような露頭探しも宝探しみたいで面白かったです。
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しげちゃん画像と皆さんの地道な風景観察によって、とうとう火山豆石露頭を発見しました!初めての城ヶ島OFF会の時には発見できなかった待望の火山豆石露頭です。
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火山豆石は直径が1cmないくらいの灰色をした乾いた小さな泥玉で、同じく噴火でもたらされた黒いスコリアの粒子の中に埋もれています。名前の通り節分のときに撒く豆のように丸い粒子です。
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火山豆石は、噴火した火山から大気中に立ち昇る噴煙の中で出来ます。噴煙の中の水蒸気が水滴として凝集すると、細かい火山灰同士をくっつけてしまいます。噴煙の中でどんどん火山灰同士が付着し、やがてそれなりの大きさの火山豆石となって噴煙から落下してきます。
火山豆石があることから城ヶ島のこの地層を造った火山は、海面の上に頭を出し、火口から噴煙を上げられるような“火山島”だったことが想像されるようです。
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柔らかくて軽い堆積物の上に重い堆積物が乗ることによって出来る脱水を伴う変形構造だそうです。
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さて城ヶ島の地質をじっくり堪能した後には衣笠の蛇紋岩を愛でに行きました。駅からしばらく歩くと、目の前には深い緑の崖が現れました。
蛇紋岩は、地殻の下にあるマントルが変成して出来る岩石です。ここの蛇紋岩は海底の堆積物の中の巨大ブロックとして存在している岩体といわれます。いわば堆積物中の巨大な礫のようなものと考えられます。
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この蛇紋岩は深緑の美しさを持ち、表面には独特のスベスベ感があり、触っていると気持ちが良いくらいです。でもこのスベスベが悪さをすることもあります。蛇紋岩のこの性質は地盤を弱くし、地滑りの原因になったり、蛇紋岩地帯での土木工事において難工事の原因になったりするといいます。
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蛇紋岩のある衣笠の町並みを歩くと、城ヶ島で見たようなスコリア層が挟まった石が石垣に使われていたりします。
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さて蛇紋岩見物のあとは恒例の懇親会です。懇親会の席では次の火山OFF会候補地の話題で盛り上がりました。次回のOFF会も是非、ご参加下さい。
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