4月23日11時25分
“宮崎県では、あちこちで完全な溶結凝灰岩を目にすることが出来ます。例えばこの付近では『清武石』、日南地方では『灰石』…(中略)… 古代から建材に利用されてきました” (第1章,p.20)
“日南市西部には飫肥という地区があって、・・・その町並みや城の石組みに「灰石」と呼ばれる溶結凝灰岩が使われ・・・南之郷(都城南方の地峡)経由の大規模な火砕流に襲われてきた地域なのである。”(第7章,p.280)
(撮影:石黒耀)
|
(撮影:田島靖久)
|
解説:
黒木の日向大学の講義の中で「溶結」という言葉の解説に出てくる「清武石」や「灰石」は、姶良火山の29,000年前(「死都日本」中では25,000年前となっているが最近の研究で訂正されている)の入戸火砕流堆積物の溶結部を切り出して石材にしたものである(「火砕流堆積物の露頭写真:溶結部」の項目も参照)。入戸火砕流堆積物の中でも溶結部は北東方向(宮崎県南部など)に見られ、この地域では加工のしやすさもあり、石材として利用されてきた。しかし現在では、清武町の「清武石」(写真左)と日南市の「飫肥石」(写真右)しか採石されていない。
写真右は飫肥石を利用して作られた飫肥城の大手門。昭和53年に復元されたものである。
今回の噴火でも同様な経路で火砕流が流れたはずで、黒木は日南の真里のことを心配している。
関連リンク
Photo Miyazaki 宮崎観光写真による飫肥城の紹介
YAHOO!地図情報・飫肥城
全国地域観光情報センターによる清武石の紹介
石屋のいのはたによる飫肥石の解説。
|